L→R 井上俊次(Key)、影山ヒロノブ(Vo)、高崎 晃(Gu)

    L→R 井上俊次(Key)、影山ヒロノブ(Vo)、高崎 晃(Gu)

    【LAZY インタビュー】
    伝説のバンドが見据えた新たな未来

    さまざまなミュージシャンに影響を与えたLAZYが、デビュー40周年記念となるシングルのリリースとライヴを行なうことになった。影山ヒロノブ(Vo)、高崎 晃(Gu)、井上俊次(Key)が、これまでの歩みを振り返りながら、現在のLAZYに懸ける熱い想いを語った。

    デビューから解散までは
    3年半だったけど
    もっと長いことやってたような気がする

    デビューから40周年を迎えた今、LAZYに対してはそれぞれどのようなことを思うのでしょうか?

    影山
    三者三様だと思うんですけど、間違いないのは3人ともLAZYがプロの世界に導いてくれたスタートということですよね。しかも、一番感受性の強かった10代の頃がそのままLAZYですし。今回の40周年のリリースとライヴに向けても、すごく気持ちが高まってますね。
    井上
    40年って長いですけど、僕にとっては何か短いような気もしててね。ひぐっつぁん(ドラマーの樋口宗孝の愛称。2008年に永眠)と宏幸(ベーシストの田中宏幸。2006年に永眠)はもういないですけど、最近、ふたりともよく夢に出てくるし(笑)。今回の制作では、そういう気持ちも込めながら演奏したり、曲を作ったり…そういったこの1カ月間は、今の自分にとってはすごく貴重なタイミングだったなと思います。
    高崎
    そうなんや? でも、あっと言う間とはやっぱ言われへんよね。みんな山あり谷ありやったと思うし。でも、こうやってまたこの広尾の一等地(レコード会社の所在地)に集まってるというのが(笑)、不思議な感じもしますね。
    井上
    デビューから解散までは3年半だったけど、もっと長いことやってたような気がする。特に最初の半年が経ったぐらいからは、えらい忙しかったもんね。
    高崎
    睡眠時間が毎日3時間ぐらいでね。あの3年半で10年分の仕事をしたぐらいのすごいスケジュールやったね。
    影山
    夜中の12時ぐらいにテレビ局を何カ所か回ったりね。もう完全に顔とか死んでるのに、さらに収録のあとに『明星』とか『平凡』の表紙の撮影があって、篠山紀信さんとかがスタジオで待ってたりしてさ(笑)。
    井上
    今みたいにスタイリストさんとかもあまりいない時代だったから、帰ってから翌日に着る服をコインランドリーに洗濯しに行くとかね。
    影山
    普通、ロックバンドとしてデビューしてたら、そんなことをやることはほとんどないと思うんですけど、雑誌の取材とかサイン会とか、音楽以外の何かをやっている時間のほうが圧倒的に多くて、めっちゃ忙しかった。
    高崎
    (テレビの)かくし芸大会もみんなで出たよね。
    影山
    出た! 津軽三味線とかやったよね。
    高崎
    いや、最初にかくし芸に出た時は、顔を真っ黒に塗られて…カラスか何かの役でね。ひと月ぐらいものすごい練習して。でも、オンエアを観たらね、2秒映ってたか映ってないかぐらいやった(笑)。

    メンバーの考えとは違って、当初はアイドルバンドとしてデビューさせられたというエピソードはよく知られていますが、1980年にはヘヴィメタル宣言をして、ロックバンドとしてのLAZYを明確に押し出しましたよね。

    影山
    タッカン(高崎の愛称)とひぐっつぁんの熱意に事務所が根負けっていう感じだったね。
    井上
    あとは僕たちがデビューしたあとから時代が変わりつつあって、ツイストやCharさん、サザンオールスターズとか、楽器を持つバンドが出てきたんですよ。ただ、彼らは僕たちの音楽性とも微妙に違ってたし、自分たちはもっとミュージシャン気質で、演奏とか歌も含めて、テクニックを演出するタイプだった気がしていて。そういうところで、もうちょっと飛び抜けたロックバンドという意味でのヘヴィメタル宣言だったと思うんです。
    影山
    うん。その後のLOUDNESSもそうですけど、海外でもヘヴィメタルというものが、すごく大きなジャンルになっていく最初の頃だったんじゃないですかね。
    井上
    すごく忙しくて、音楽性やら何やらを考えている余裕がなかった時もあったんですよ。でも、少しずつ大人になってきて…僕にはまったくヘヴィメタル色はなかったと思うけど、その僕でも“このままやってたらあかんな”とすごく思ったタイミングでしたね。19歳ぐらいだったかな。

    あの頃、“ヘヴィメタル”という言葉を日本で大々的に掲げていた人はほとんどいなかったと思うのですが。

    高崎
    うん。欧米のバンドの中では、それこそ歌詞の中に“ヘヴィメタル”というワードがあったりしたかもしれないけど、日本ではほとんど“ハードロック”と言われていたと思うし。でも、アイドルからヘヴィメタルとなったら、ギャップがデカいじゃないですか。それが逆にレコード会社もセールスポイントになると踏んだか、諦めたか、どっちかですね(笑)。だから、戦略のひとつだったと思うんですよ。ただ、事務所の社長からは“好きなことやってもええけど、売れへんぞ”って言われてたんですよ。実際、『宇宙船地球号』(ヘヴィメタル宣言後の1980年12月に発売された6thアルバム)は、『This is the LAZY』(1978年3月に発売された1stアルバム)ほど初動は良くなかったんです。でも、何十年かして累積で見ると、LAZYのアルバムの中では『宇宙船地球号』が一番売れてるんですよ。だから、間違ってなかったんじゃないかなというのはあるんですよね。
    影山
    多分、ちゃんと目的を持って全てレコーディングしたのは、最後の『宇宙船地球号』だけだったと思うんです。その当時、絶対的な駆動力はひぐっつぁんとタッカンだったと思うんで、そのふたりの作り出すものを中心にできたものだと思うんですよね。今でもあのアルバムにはすごく一貫性を感じるし、魂みたいなものが入っている気がしますね。