全世界にその存在を認識させた
    ロバータ・フラックの名作
    『愛のためいき』

    『Feel Like A Makin’ Love』(’75)/Roberta Flack

    『Feel Like A Makin’ Love』(’75)/Roberta Flack

    ダニー・ハサウェイと並んで、70’sソウル音楽に新風を巻き起こした立役者が今回紹介するロバータ・フラックである。フラックは黒人女性でありながら飛び級で大学まで進学し、学校教員として働きながらプロのミュージシャンを目指した才媛として知られる。60年代、アメリカ全土を巻き込んだ公民権運動で黒人の地位が少しだけ向上したとはいえ、フラックのような経歴を持つアーティストは実際にはとても少ないというのが現実である。では、なぜ彼女が…と言えば、それだけ彼女の音楽的才能が圧倒的であったからだ。69年にデビューした彼女はすぐに認められ、その後も現在までポピュラー音楽界になくてはならない存在としてリスペクトされている。本作『愛のためいき(原題:Feel Like A Makin’ Love)』(’75)は彼女の5枚目となるアルバムで、大ヒット作となったばかりでなく、ジャズ、フュージョン、AORなどへの、ソウル側からの橋渡し的な役割を果たした重要な意味合いを持つ。

    ニューソウルの旗手と黒人ポップス歌手

    マーヴィン・ゲイが71年にリリースした『What‘s Going On』は、それまでのソウルやR&Bとは一線を画す都会的なサウンドで、その革新性から“ニューソウル”と呼ばれることになる。もちろん、この作品は現在でも最高の評価を得ており、僕も何度聴いたか分からないほどで、以前このコーナーでも取り上げたことがある文句なしの名盤だと思う。しかし、“ニューソウル”とひと口に言っても、マーヴィン・ゲイにしてもダニー・ハサウェイにしても、カーティス・メイフィールドも、歌い方はソフトであるものの黒人としてのアイデンティティーは失っていなかった。

    しかし、『What‘s Going On』が出る2年前の69年にリリースされたロバータ・フラックのデビュー盤『First Take』は、黒人音楽というよりは、歌い回しにジャズやクラシック的素養が明らかに感じられるポップス作品であった。彼女のやさしく伸びやかな歌声を中心に、ソウル風、ジャズ風、フラメンコ風、カントリー風のナンバーを8曲収録したアルバムで、不思議なテイストのポップス感覚を持っていた。レイ・チャールズやレス・マッキャンのように“R&B寄りのジャズ”みたいな中道派ソウルジャズのアーティストを多く抱えるアトランティックからのリリースだけにそれもありかと思ったが、少なくとも黒人音楽ではなかった。おそらくデビューアルバムは、彼女の素晴らしい歌声を最大限に生かすための仕掛けがなされたのだろう。

    僕が『First Take』を初めて聴いたのは高校生の頃で、その頃はブルースや泥臭いサザンソウルが好きだっただけに、フラックはダメだと決めつけていたものだ。今から思えば、偉大なニーナ・シモンの路線を踏襲していたのだと思う。

    全米1位獲得とグラミー賞受賞

    しかし、ラッキーなことに『First Take』はクリント・イーストウッドの目に止まり、イギリスのフォークシンガー、イワン・マッコールが書いた「愛は面影の中に(原題:The First Time Ever I Saw Your Face)」が映画『恐怖のメロディ』(’71)の主題歌となる。シングルカットされると全米1位になっただけでなく、翌年のグラミー賞で最優秀レコード賞を獲得、フラックは一躍時の人となった。すでに、この時点で彼女のアルバムは3枚、ダニー・ハサウェイとのデュエットアルバムもリリースされており、歌にはますます磨きがかかっていた。彼女は自分ではほとんど曲を書かないが、盟友ダニー・ハサウェイの助力もあって編曲の才能は抜きんでており、黒人ポップスシンガー兼アレンジャーとして独自の立ち位置を掴みかけていたのである。

    日本人なら誰でも知っている
    「やさしく歌って」

    そして、73年に4枚目となる『やさしく歌って(原題:Killing Me Softly)』がリリースされる。間違いなく彼女の代表曲であるタイトルトラックは、シングルカットされると全米1位となり、当時日本でも大ヒットし、毎日どこかでオンエアされていた。そして、ネスカフェのCMで使われることになり、日本人でこの曲を知らない人はいなくなったのである。この曲だけでなく、このアルバムに収められているのは良い曲ばかりで、ポップス歌手としてフラックの人気は世界的に広がった。彼女のアルバムは高セールスをあげているだけに、レベルの高いスタジオミュージシャンを使えるようになったことも、彼女の思い描く音楽をかたちにしやすくなったのだと思う。フラックのアレンジも冴え渡るようになってきていた。

    「やさしく歌って」は74年のグラミー賞で2年連続となる最優秀レコードを獲得しただけでなく、最優秀女性ヴォーカルにも選ばれることになった。フラックの代表曲をひとつ挙げろと言われたら、僕はこの「やさしく歌って」か5枚目のアルバム『愛のためいき』収録のタイトルトラックのどちらかを挙げるが、どちらにするかは、なかなか決めかねる…。

    本作『愛のためいき』について

    ということで、続いてリリースされたのが5作目となる本作『愛のためいき』である。バックを務めるミュージシャンたちは、のちにフュージョンやAORの世界でトップに君臨する人たちばかりだけに、これまでのアルバムとはレベルの違ったサウンドになっている。

    まず、リズムセクションとして参加しているドラムのアイドリス・ムハマッドやアル・ムザーン、ベースのアンソニー・ジャクソンやゲイリー・キングらの演奏はタイトで、めりはりのつけ方が強力だ。レオン・ペンダービス、リチャード・ティー、ボブ・ジェイムスといったアメリカを代表するキーボード奏者や、ギタリストのデヴィッド・スピノザやヒュー・マクラッケンらも、それぞれソロアルバムをリリースするほどの猛者揃いで、バックヴォーカリストではデニース・ウイリアムス、パティ・オースティン、ラニ・グローブス、ウィリアム・イートンといった豪華な布陣が脇を固めている。

    収録曲は何と言ってもタイトルトラックの「愛のためいき(原題:Feel Like A Makin’ Love)」の出来が素晴らしい。このあと、雨後の筍のようにカバーが登場するが、そのどれもが本盤のアレンジをもとにしていて、本家(正確には本家ではないが)の貫禄はさすが。対抗できているのはマリーナ・ショウぐらいではないだろうか。また、スティーヴィー・ワンダー作の「I Can See The Sun In Late December」は13分にも及び、後半の6分はインストで、独立したフュージョン作品となっている。これまでのフラックのアルバムは、あくまでもポップスアルバムとして制作してきたので、こんな実験的なことはやっていないのだ。この1曲だけをとっても、彼女が新しい何かを生み出そうとしていることが分かる。他にもキャロル・キングやカーリー・サイモンを彷彿させる部分があるなど、本作は単なるポップス作品ではなく、彼女のロックスピリットをビシバシ感じる都会派のシンガーソングライター的作品だ。

    本作の次に出た6thアルバム『愛の世界(原題:Blue Light In The Basement)』(’77)は参加メンバーの豪華さでは本作を上回るが、ブラコン風のポップス作品となっており、ロックスピリットが感じられずに残念な気持ちになった。結局、僕にとってのロバータ・フラックは『やさしく歌って』と『愛のためいき』の2枚に尽きるのかもしれない。

    TEXT:河崎直人

    『Feel Like A Makin’ Love』(’75)/Roberta Flack